だめにんげんやめたいにっき

妻子持ちダメ人間がダメじゃなくなろうと努力する様をポップに描きます(予定)にっきと称していますが更新は不定期です

不特定多数に向けた甘言は危うい

「○○なんていう常識はぶち壊せ」とか、「あなたが生きにくく感じているのは社会のせい」とか、「年功序列の企業勤めはオワコン!時代は起業!!」とか、その手の発言が、昨今のインターネッツには蔓延している。

いずれも趣旨としては個人を尊重し、今の社会の在り方を批判するというもの。こうした物言いは少なからず新しい切り口を提示しているようでキャッチーに響くし、仕事のストレスが強い・職場に不満を抱えている人ほど迎合したくなるのも仕方ないと言えばそうかもしれない。ストレス源を叩くことと自己肯定がセットで達成できるのだから、まあそれに乗っかることで手っ取り早く楽にはなれるわけで。

ただ、それがきわめて副作用の強い劇薬だということに気づけないまま、やたらと乱用している人が、少々と言わず目についたりもする。

あなたは悪くない、みんな社会が悪い、みたいな甘言が不特定多数に向けて発信されるとき、それはほとんどの場合において個人の事情を考慮して書かれてなどいない。そういう発言をする本人はただ単に、自ら社会に感じた恨み辛みや何やかやを、無責任に、過度に一般化して述べているに過ぎない。それをそのまま鵜呑みにしてしまうような人は、往々にして変な方向にメーターを吹っ切って思考停止に陥り、自省や自己批判さえも忘れてしまう。結果的に社会を批判することが目的にすり替わり、そのために無関係な人を傷つけるような発言も厭わなくなっていく。常識レベルのブレーキがいかれてしまうわけだ。

そうなってしまう気持ちも、わからないではないんだけどね。鬱だSNOWでうずくまっているときは特に、 気休めだろうと自己否定のスパイラルから救ってくれる言葉や、人の温もりを欲してしまうのが人情というもんでもある。

ただ、自分を救ってくれた(気がしている)劇薬の力を過信したり、まして自分まで見よう見まねで同種の劇薬を調合し、赤の他人に施そうとしたりするのは、もはや害悪以外の何物でもない。 だって要するにおつむの良くない人間を狙い撃つカルトじゃん、それって。

起業云々に至っては、引っかかった人が安定した地位を捨てて大変なことになる事案も発生してるみたいだし。

 

少し前に大学の同級生がまさしくそうしたカルトめいた発言をしていたので、やんわりと苦言を呈したけれども、あまりにもラリっていたのでひっそり関係を絶ったことがあった。

僕だって生きづらさに苛まれ続けているけど、日本社会が1から10まで素晴らしいとも思ってないけど、この社会にちゃんとした居場所を見つけたいと思っている。社会に何か難癖をつける前に、自らを顧みられる自分であり続けたいとも。