だめにんげんやめたいにっき

妻子持ちダメ人間がダメじゃなくなろうと努力する様をポップに描きます(予定)にっきと称していますが更新は不定期です

カーチャンの息子で良かった

メンタルクリニックに行ってきた。

今回は発達障害の診断に関わって幼少期の話も聞かれる関係上、実家の母を伴って。

 

結論を先に述べると、発達障害の診断は(グレーな部分はあるんだけど、という但し書きは付きつつ)下りなかった。

とりあえず、今の段階ではそれで良かったのだと思う。そう思わされる小一時間の面談だった。

 

精神面の不調は、だいたいのところ以下の2点によっているのではないか、というのが担当医の見解だった。

 

・仕事のプレッシャーを過度に感じてしまっていること

・(上記とも関わり)仕事を始めて以降、それまで自分で決められていた生き方のペースに外的要因が加わるようになった結果、ライフ・ワーク・バランスが崩れたこと

 

ケアレスミスの多さにせよ、疲れが取れないことにせよ、気持ちの余裕を持てていないことが最大の要因ではないか、ということも言われた。

何だかんだ成長に伴って社会性は身につけられているし、今ある問題を障害のせいと断じてしまうことは恐らく解決に繋がらないだろう、とも。

加えて、趣味は趣味としてもっと楽しんでいいのだし、抱え込んでいるものは気にせずどんどん友人や恩師に相談していいのだ、とも。

ぐうの音も出ない、という感じだった。

 

色々なアドバイスを受けつつ、最終的にもうちょい頑張ってみるかいと思うに至る決定打となったのが、聞かれたことに答える以外はほぼ無言で先生の話に耳を傾けていた、母の一言だった。

 

「あんたの授業がきっかけで、同じ大学の院まで進んだ子がいたんでしょ?それはとても素晴らしいし、誰にでもできることじゃないでしょう。もっと自信と誇りを持ちなさい」

 

先生の目の前だというのに、不覚にもちょっと涙が出た。

そうなんだよな。自己評価がどれだけ低かろうと、何かしら良さはあるんだろうし、それをちゃんと汲んでくれる人だっている。授業の質は高くなくても、それが万人にとって無意味ということにはならない。それならば、今より一人でも多くの学生に意味のある話ができるよう、手を尽くすのが僕の務めなんだ。

ありがとうカーチャン、いつも見守ってくれていて。そして大事なことに気づかせてくれて。

そんな思いを込めた今回の表題です。

大したものではないかもしれないけれど、自分が持てるものを未来ある若者に伝えていくということ。そうすることが、普通よりだいぶ長めに学生をやらせてくれた両親に報いることにもなるし、税金で学ばせてくれた国への恩返しにもなる。今はそう信じて、できることをやろうという気になっている。

 

「○○を学ぼうと思ったきっかけは何ですか?」という先生の問いに、僕は「○○の面白さを多くの人に知ってもらいたい、という思いが出発点でした」と即答した。

思い返せば色々な人と、何度となくしてきたやりとりだ。けれどそれを繰り返すうちにどこか焦点はぼやけて、それこそが自分の拠り所だという思いも希薄になってしまっていたように思う。

そんな僕の心中を知ってか知らずか、続けて投げかけられた「その楽しさを伝える授業ができていますか?」との問いは、なかなか心に刺さるものだった。

初心忘るべからず、とは、本当によく言ったものだな。

まずは原点回帰。楽しむ感覚を取り戻すところから頑張ってみようと思う。

 

 

それはそれとして、やっぱりグレーというだけあって心理検査(weis-III )の結果はなかなかにアレだった。

具体的な数値なんかは伏せるけれど、言語性IQと動作性IQの差が16(一般的に20あるとはっきり生きづらくなるレベル、という話。なお僕は言語性優位)。さらにはマルチタスキング能力の低さ、細部にばかり目がいく気質などなど、専門外の人間からすると「エスパーかな?」というレベルで当たってる部分が多々。

というか総評を見る限り、けっこうな度合いで配慮を要する人という扱いなんですがが……。

まあ自分の特性を知った上で、未然に防げる問題を防ぐのには有益な情報となるでしょう。そのへんも含めて頑張りましょう。