だめにんげんやめたいにっき

妻子持ちダメ人間がダメじゃなくなろうと努力する様をポップに描きます(予定)にっきと称していますが更新は不定期です

ところでという話でもないけどコミュ障です

人の目を見て話せない。

親しい相手(家族とか友人とか)ならその限りではないけど、基本的に人の顔にフォーカス合わせるような目線の運び方ができなくて変な具合に中空を見る格好になるので、当然のことながら学生の顔なんてほぼまったく覚えられない。

さすがに毎回質問してきたりする子は覚えるけれども、それも親しみが生じてくることで初めて(顔を覚えるという行為そのものが)可能になってる感じがするし。

まあそんなわけで、覚えてない顔に挨拶されたりすると盛大にキョドる。

それでいて、挨拶したのに無視されたよ感じわりーなーとかは思われたくないというジレンマがある。

苦肉の策として、最近は対面から歩いてくる学生がちょっとこっち見てるなあと思ったら、すれ違うあたりで微妙に会釈してるように見えなくもないような動きをするようにしてるんだけど、端から見たらあの人ハトかな?って状態だと思うのね。

100人超えのクラスなんかはもうある程度諦めるしかないとして、20人そこらなら何とかしたいし、脳のキャパ的な観点だけで言えば無理な話ではないと思うんだけどなあ。

 

考えてみると、この仕事を始めてからコンビニ店員とすら目が合わせられなくなってる(以前は別に問題なかった)ので、明らかに仕事上の色々なプレッシャーが悪い方向に働いてるパターンだな。

やはりこれも然るべきところで相談した方がいい事案かな。

だめにんげんをやめて何になりたいのか

まあそこがゴールじゃないよね、という話で。

 

当人として可能性があると考えているのは以下の3つぐらい。

 

(1) 抱えている問題がクリアされ、現職を続ける

ADHDの集中力散漫を解消する薬があるとのことなので、それが劇的に効いたらワンチャンまともな(優秀ではなくても、最低限の業務はこなせる程度の)教員にランクアップできるかもしれない。

そもそもまだADHDと決まったわけではないので、今の時点では何とも言えないところではあるけれど。

 

(2) より適性のある分野に転職する

長年続けた学問ですら、うだつの上がらないことこの上ない僕だけれど、得意だとはっきり自認していることが一つだけある。それは文章校正だ。

自分で文章を書くと誤植の山を築く(このブログでは辛くならない程度に気をつけて書いているけど、それでも後で気づいて直した部分なんかは多々ある)くせして、他人の文章を読むとどんなに細かい誤字・脱字・日本語の誤りでも気づくことができるし、改善案もおおむね即座に考えつく。

これは学生時代、バイトで後輩(必ずしも同じジャンルとは限らない)のレポート・論文に赤入れをしていたときに鍛えられたスキルで、恩師にもお褒めの言葉を頂いたことが何度かある。

レポートの書き方に関する授業をやったことがあって、そこでも講義はともかく、学生の文章に赤を入れることに関しては、十分に務めを果たせたと思う(今日日、大学生と言っても知的水準は本当に千差万別なんですよ。まあ深入りは避けますが)。

ピンポイントすぎる特技ではあるけれど、他人の文章を直すという業務ならぼちぼち戦える自信はある。

仮に障害者手帳が出るとすれば障害者雇用でも一向に構わないので(むしろその方が気楽でいいかもしれない)、そういう仕事が見つからないものだろうか。

 

(3) (発達障害の診断が降りる前提で)障害者年金・生活保護などの支援で生き長らえる

この道を自ら選ぶといよいよクズオブクズに成り下がるので、これは本当の最終手段にしたい。

可能性の一つとして想定している時点で、十二分にアレではあるけれど。

 

さらに大穴として、とある創作(趣味の一つ)で大成してウハウハという可能性もゼロではないけど、まあ雲を掴むような話でしかないわな。そもそもいい歳して実績は皆無に等しいしな。

 

何であれ、早く(真)人間になりたい、という思いはわりと切実にあるのです。

当人としては(2)が一番望みもあるし充実した人生を送れる道だと思うけれど、実際どうなるもんかねえ。

倦怠感と無気力に関して追記

そういえばという話でもないけれど、ここのところ趣味を楽しむということ自体がほとんどなくなった。

好きで買っているはずの漫画も、かれこれ1年ぐらい読む気力が湧かないまま本棚の肥やしになっている。

楽しみにしていたはずの某RPG新作も、出て2か月経った時点で結局封すら開けていない。

例外的にKindleなどの電子書籍であれば(漫画も活字も)通退勤の電車でちょくちょく読むけれど、家にいると何か楽しいことをやっちゃうぞという気にまずもってならない。家=仕事と家事と育児と風呂飯寝る、の空間という図式ができあがっていると言ってもいい。

ソシャゲ(タイトルは出さないけどだいたい萌えオタが好きそうなやつです)のイベントは「今しかない!」という危機感みたいなものに煽られるせいか辛うじて進めるけど、それすら色々億劫になりつつある。

他にも音楽とかスポーツ観戦とか趣味はたくさんあるのに、どれにも食指が動かなくなって久しい。いや、動かすだけのエネルギーすらないと言うべきか。

 

こんな体たらくなので(買い物とか仕事のない日の料理とか、やれることも少しはあるけれど)家事も育児も大部分を妻に押し付けっぱなしになっていて本当に申し訳ない。仕事に障らないようにと夜泣き対応とか全部一手に引き受けてくれているので、何だかもう常に憔悴して見える。

僕も子供を抱っこして出かけたりとか、夏休み中はちょいちょいやってたけど、またしばらくは厳しそうだしなあ……と思ってしまう時点でダメなのだな。何とかせねばな。

謎の痛みで身体がやばい(3)

旅行から帰った翌朝。朝から晩まで、ずっとだるい。足元がふらついて、何もないところで転びそうになる。

同様の症状が何日か続き、最終的には寝たきりに近い状態に陥っていた。当然、授業の準備も進まない。

旅行の疲れか、はたまた手足の件と関連するのか。でも、帰ってきたら東京も暖かくなってて、こわばりはしなくなったしなあ……。

そんなことを思いつつ、予約していた膠原病科へ、ほとんど這うようにして赴いた。

 

腫れは多少収まったんですが、全身がだるくて仕事にならないんです。何か原因に心当たりはありませんか。

そう懇願する僕に、女医は告げた。

レントゲンも特に問題ありませんし、ここではどうにもなりませんね。他に調べるところがあるとしたら脳神経外科ぐらいですね。もっとも、今日はちょうど終わってしまったところなので、明日以降に改めてお越しいただく必要がありますが。

その顔には苦笑の色が混じっていた。やれやれ、よくいるんだよな、こうやって思い込みであれこれ注文つけてくるやつ。私が何人診なきゃいけないと思ってるんだよ。まったく、めんどくさいなあ----被害妄想めいた物言いかもしれないが、その顔はそんなことを言っているようにも思えた。

 結局、翌日(これまた這うように)受診した脳神経外科でも、異常は見つからなかった。

この病院にはもう世話になるまい、と心に決めた。

 

思うところあって、ずっと飲み続けていた花粉症の薬をやめてみたら、体調は少しだけ良くなった。

とりあえず、片道3時間(ただしほぼ座ったまま)の通勤で3コマの授業をして帰っても、翌日寝たきりなんてことにはならずにすむようになった。

ただ、身体はほぼ常にだるい。長期休暇で出勤がなかろうとお構いなしにだるい。手足(特に手)の指は、何をしても痛む。膝の痛みは目に見えて悪化した後、一進一退を繰り返している。

これらが複合的に作用して、休日に遠出したりレジャーを楽しんだりする意欲が、すっかり萎えて久しい。

僕はどうすればいいんだろうか。何をどうしたら、この悪循環から抜け出せるんだろうか。ここ1年半ばかり、ずっとそんなことを思い悩んでいる。

 

恐らく、先述の大学病院が決定的にダメなところだというわけではないと思う。徹底的に作り込まれたマニュアルから逸脱しない範囲に限れば、きちんと診てくれたという見方もできる。そもそも父はそこにかかったからこそ、70近い今でも健康に過ごせているという事実もある。

ただ、少しずつ寒さが訪れつつある今日この頃、再びむず痒さを覚え始めた手足の指は、これからどうなるのだろう……(昨冬は妻の妊娠→出産の関係で、陽当たりのいいアパートに引っ越したのと、エアコンが常時オンだったこともあって、目立った悪化はなかった)。いざまたあんな症状やこんな症状が出てきたとき、僕は何にすがればいいのだろう。

そう思って、少なからず暗澹とした気持ちになっている。

謎の痛みで身体がやばい(2)

大学病院では皮膚科と膠原病科(正確な名称ではないけど正式名を出すと特定されるのでぼかしておく)の2箇所にかかることになった。

平日しか診察がないとはいえ、職場も春休みに入って時間には余裕がある。こうなったら徹底的に原因を究明してもらおう、と考えた。

 指の背はいよいよぱっくりと割れて、少なからず血を流す状態になっていた。

 

皮膚科では、あらかじめ最も疑いが強いとされた「皮膚筋炎」という病気に特徴的な症状が出ていないか、という点「のみ」をチェックされた。

これは当てはまらない、これはちょっとその気があるけど大したことなさそうだから経過観察ね、あっ皮膚の荒れには保湿が効果的よ、この薬を毎日塗ってね。

他にも細々としたことは言われたが、専門語の類が多すぎてほとんど理解できなかった。

診察は高度にマニュアル化されていて、そのことを隠そうともしない。そういう印象を持った。

 

膠原病科の方は、輪をかけて事務的だった。

まず待合室に入って驚く。そうはお目にかからない数の患者で、たくさんあるソファのほとんどが埋まっていた。案の定、予約時間を小一時間過ぎて、ようやく診察室に呼ばれる。

担当医は40代半ばほどの女医だった。にこやかに挨拶され、状況を聞かれ、指も見られる。

あんまり心配なさることはないと思いますね、などと言いつつ、女医は血液検査と内蔵のレントゲン撮影を受けるよう指示を出し、早々に退室を促してきた。

 

翌々週、検査結果を聞きに再び病院を訪れる。

このとき、手足の指の痛みはいよいよひどく、手首も妙に痛みだしていて、心なしか膝や腰にも(腰に関しては元々ヘルニア持ちで慢性的に鈍痛はあったけど、より鋭い)痛みが出てきているように感じていた。

皮膚の荒れが多少落ち着いた指の関節には、「ゴットロン兆候」でイメ検すれば出てくるのとそっくりな赤みが差し(左右がまったく対称なところもそのまんま)、朝の起き抜けには指の曲げ伸ばしにも難儀することがしばしばで、いよいよ歩いて移動するのに支障が出てきていた。

ゴットロン云々という話はしなかったが、このようにあちこち痛んで困っています、と訴える僕に、女医は告げた。

血液検査・レントゲン、ともに問題ありません。膠原病の診断結果には、いずれも合致しません。

本科の管轄とは違うかもしれませんが、手足のレントゲンは撮っておきましょう。

 検査結果は、都合により一月近く経ってから聞きに行くことになった。

 

都合というのは、遅めの新婚旅行だった。

体調を考えるとキャンセルした方がいいようにも思えたけれど、夫婦とも前々から楽しみにしていたことだし、その後は仕事が忙しくなる一方なのが目に見えていたので、少々無理をして出かけることにした。

結果的に、この選択は事態を少しだけ好転させる。

行き先が南の暖かい土地だったので、寒さに比例してひどくなっていた指の痒みやこわばりは、現地入りの翌朝には嘘のように消えた。

個人的には初めて訪れる場所であり、新鮮な刺激に満ちていて、観光地では駆けずり回れるぐらい元気になった。あの旅行は楽しかったなあ、と、今でも思い出す。

 

ただ、旅行から帰ってくると、別の問題が浮上してくる。

※また長くなってきたので分けます。

 

謎の痛みで身体がやばい(1)

タイトルのとおり。

 

一昨年の晩秋~年末あたりにかけて、手足の指に妙な違和感を覚えるようになった。

指の背に細かい棘が無数に刺さっているような、あるいはチクチクした布地その他で絶えず撫でられているような、痛痒い感触がほぼ1日続く。

 

思い返せば、もう少し前から兆候はあったような気もする。特に屋内外の温度差が大きくなる冬場は、靴下の内側が汗で蒸れた後、冷えたところで変な痒みが生じる。

まあ当初は、これが霜焼けというやつなんだろうぐらいに思っていた。痒みが悪化して痛みに変わったときには通風なども疑って検査を受けたけど、血液には何の異常も見られなかった。

ついでに半年で8kgばかり体重が減っているのが気になる、と相談したところ、腫瘍マーカーの検査もしてくれたが、やはり異常はなかった。まあ、結婚して実家を出て、食生活が変わったせいだろうとそのときは思った。

 

一昨年暮れの痒み(もしくは痛み)は、少し違っていた。

手も足も痒すぎて寝つけない。心配した妻が愛用の電気毛布を貸してくれたので暖めてみたところ、よけいにひどくなった。

あんまり清潔なアパートでもないしダニにでもやられただろうか、でも手足の指だけピンポイントって妙だな……と思いつつ、強めの虫刺され薬を買って塗ってみても効果はない。

耐えきれなくなって、去年の年明け早々に皮膚科を受診した。そのときには、掻き壊した指の背がひび割れて、ほとんど絶えず血が滲んでいた。

原因はよくわからないね、でもこれを塗れば治るでしょう、と言って出された強めのステロイド薬はかなり劇的に効いた。ただ、それで痒みが収まる(と言ってもマシになるだけで消失まではいかない)のと反比例するように、手足の指の関節がズキズキと痛むようになった。

布巾を絞るだけでも、思わず呻き声が出るくらい痛い。飲み物の入ったカップを持ち上げる程度の負荷でも、手指は悲鳴を上げる。

足の指も同様に、痒みが軽減するのと引き換えに痛みを感じ、歩くのが辛く感じるようになった。

翌週に再び皮膚科へ行き、経過を見てもらう。痒みは良くなったけど痛みが……と訴えると、指の赤い腫れと熱感が気になる、問題ないとは思うけど念のため膠原病の検査を受けてください、ということを言われ、某大学病院への紹介状が出た。

 

紹介先は父のかかりつけ病院だった。

何を隠そう父は膠原病患者で(ただし僕のような症状が出る病気とは異なる)、長年にわたって通院し、ときには入院もし、全幅の信頼を置いているところだ。

ここならちゃんと診てくれるだろうし、どういう診断であれ症状を改善する道筋は見えてくるだろう。そんな期待があった。しかし、それはものの見事に裏切られる。

 

長くなってきたので記事を分けます。

教員に向いていないと思う理由(兼備忘録)

教員というのは、学生(・生徒・児童)を教え導く、とても崇高な職業だと思う。

それはただ機械的に知識を身につけさせればいいという性質のものでは断じてなくて、正しく身につけた知識を正しい場面で正しく活用することのできる、真の教養人を育成することに他ならない。高等教育に携わる人間は特に、いかに多くの学生に、いかに適切に、この「教養力を培う」というタスクを達成させられるか、またそのことに心血を注げるかで、その価値が決まると言える。

 

……などというのは、ちょっと真面目に学生をやっていたことのある人なら誰でも知っている(そうでなくても、少し考えれば誰でも思い至る)ことではあるが、とりあえずこの前提を踏まえて。

 

僕はそこそこ名の知れた国立大学で博士号を取得していて、一般的に言えばそれなりに高い教養を有しているはずの人間だ。それにもかかわらず、高等教育にまるで向かないと思われる(少なくとも本人には思われてならない)理由は、おおむね以下の5点に集約される。

 

(1) 情報の取捨選択ができない

自分の専門(詳しくは書けないが、とある文系の学問分野)に関わる基礎教養科目を多く担当しているが、何を教えようとしても、重要項目とそうでもない項目の区別がつかない。というより、どれも重要だから授業で扱わないといけない、としか考えることができない。

たとえば一般向けの概説書などで10が扱われているとしたら、授業で取り上げる内容は3か4ぐらいにとどめるのがセオリーだが(そのぐらいでないと授業時間は必然的に足りなくなる)、何を基準に3ないし4を選び取ればいいのかわからない。その結果、明らかにスルーしていい1ぐらいしか省くことができず、9を暗記させるようなクソつまらない授業をすることになってしまう。あるいは、3を選ぶ行程を無理に断行した結果、選択を誤って支離滅裂なレジュメができあがってしまう。

 

(2) ケアレスミスが異常に多い

授業レジュメの誤字・脱字があまりにも多い。推敲の過程で文意が逆になるような凡ミスもかなり多い。

自分で用意した印刷物に、訂正を要する箇所が一つもなかった記憶など、ないに等しい。

 

(3) 授業の運営がうまくできない

授業準備の段階で当日に話す内容を1から10までかっちり固めようとすると、授業本番まで体力・気力が持たないので、準備はだいたい7-8割にとどめて臨む。すると準備しなかった2-3割に、必ずと言っていいほど重大な漏れが発覚する。それもほとんどは授業が始まって、該当する箇所の話にさしかかってから。

 

(4) 予定外のことに弱い(アドリブが効かない)

少なからず (3) にも起因して(つまりは自業自得だけど)、何を話せばいいのか、何をすればいいのかがわからなくなると、目に見えてテンパる。真冬の小寒い教室でも、滝のような汗が流れ出る。

 

(5) 授業準備時に集中力が持続しない

授業のためにネットで調べ物をしていたはずが、気づけば全然関係ないサイトを回って小一時間ぐらい経っていたりする。

本当に締め切りが差し迫っている場合はそうした無駄もいくぶん減るが、それなら普段からやればいいんじゃないか、それができれば色々ゆとりもできるだろうに、という自己嫌悪に苛まれる。

 

(2) や (4) あたりは、冒頭で述べた教師像の話とは少しずれる気もするけれど、教養を与え、与えられる行為は双方の信頼関係あってこそ成り立つものだと考えれば、やはりこういう説得力を損ねる要素ってダメなんだろうなあと思う。

 

そんなわけで、薄々自分がADHDとかそういう障害持ちなのではないかと(4年もこの仕事を続けてようやく)思うようになり、目下そういう診断を受けられる医院に通っている。

とりあえずは知能検査を受けて、結果を待っているところ。

どちらかというと定型発達でこの有り様だと単なるクズじゃんという気がするんだけど、どうなることやら。

 

なお業務内容を詳しく書くと身バレしそうで怖いので、何か全体として要領を得ない感じになってしまうのは平にご容赦。

最初の記事で言及した身体面の問題については、また後で書こうと思います。